
久しぶりに『星の王子さま』の本を手に取り、ページをめくる。
子どもの頃、私はこの物語に夢中だった。
未知の星に生きる不思議な人物や生物たち
確認のしようもないその世界に、
夢や憧れをたくさん詰め込んで、何度も読んでいた。
けれど、大人になった今、あらためて読み進めていくと、
あの頃とはまるで違う、静かな感情が心にじんわりと浮かぶ。
—
物語の語り手は、飛行士。
砂漠に不時着したが、そこで出会ったのが、王子様という名の不思議な少年。
その出会いは、忘れてしまっていた『子どもの心』を取り戻す旅だったのかもしれない。
この飛行士こそ、サン=テグジュペリのもうひとつの姿だと言われている。
空を飛びながら、彼はずっと、
自分の中の『王子さま』を探し続けていたのではないだろうか。
子どもの頃に描いた、象を飲み込んだウワバミの絵。
それを「帽子でしょう?」と笑われたあの記憶。
大人になるにつれて、見えなくなってしまった大切なもの。
「子どもだったことのあるすべての大人たちへ」
そんな一文で始まるこの物語は、
飛行士としての彼から、少年だった自分自身への手紙であり、
同時に、私たち一人ひとりへの静かなメッセージにも思える。

:バラ、キツネ、飛行士
どのキャラクターも、私たちの心のどこかにいるような気がする。
だからこそ、この物語は読むたびに違う顔を見せてくれる。
時にはバラのように、誰かを試してしまい、
時にはキツネのように、誰かと心を通わせたいと願う。
そしてまた、飛行士のように空を見上げ、
かつての自分が子どもだったころのーワタシーを思い出す。
だから、『星の王子さま』の物語は、
いつまでも色あせることなく、
いつの時も、静かに私のそばにいてくれるのだ。
:『彼は、原石のまま海に消えたダイアモンドであった』
その彼とは『星の王子さま』の作者、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ。
作家・宮崎駿は、彼を評してこう語ったという。
この一文に、彼の生涯と作品、そして人間としての姿勢までもが、見事に表されている。
1900年、サン=テグジュペリはフランス・リヨンに生まれた。
幼い頃から空に強い憧れを抱き、成長するにつれ、自然と飛行士としての道を歩み始める。
空を飛ぶことは、彼にとってー自由ーであると同時に、ー孤独ーでもあった。
その体験は、やがて彼の文学の核心へと変わっていく。
『星の王子さま』(1943年)は、彼がアメリカに亡命していた時期に書かれたもの。
第二次世界大戦のただ中、サン=テグジュペリは自由と祖国、希望と絶望のはざまで揺れていた。
そんな混沌の中で生まれたこの作品には、彼自身の人生の断片、心の叫び、そして願いが、
ひとつの寓話として織り込まれているようにも思える。
その後、1944年に彼はフランス解放のために偵察任務に志願し、地中海上空へと旅立った。
そしてそのまま、彼は戻らなかった。
無線には、こう残されている。
「任務に向かう。応答願う。」
彼の最後の言葉。
2000年、マルセイユ沖で彼の飛行機の残骸が発見されたが、遺体は見つかっていない。
彼の最期はいまも「謎」に包まれたままである。
サン=テグジュペリは、理想、冒険、そして人間愛を信じていた。
けれど、それらを磨ききることなくこの世を去ってしまったのだ。
「まるで、未完成のまま輝きを放つ
彼は、原石のまま海に消えたダイアモンドであった」― 宮崎駿
『星の王子さま』は、サン=テグジュペリ自身の物語であり、彼の人生そのもの。
物語の中で、王子さまがキツネに教えたあの言葉が、静かに響く。
「ほんとうに大切なことは、目には見えないんだよ」
リアルな人間の心の旅がたくさん詰まっている。
彼は、本当に死んだのだろうか?
それとも、自分の星へと帰っていったのだろうか。
―そんな問いは、謎のままでいい。
『星の王子さま』のページを開けば、
彼には、いつでも会える気がしたからだ。

「ソング・フォー・オクターブ / ベルトラン・シャマユ」
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