午後の光と香りの儚さと循環についての考察

ーword of silence

イスの横に赤いまる
の上の光が
揺れている
今日
の午後
のそれは揚々としている
そして、6の3章の
spice oil を燦々として
緑の中に
流れる

混ざり合う
の風景
こうして
光と夜と共に
何処かへ 何処かへ
でも
何時かは果敢なく
消える
回想のブルー
それから
まるの中に在る茎と葉を
蒸発していることを
確認して
青いガラスの向こうに
還る
香の消えていく
かすかな距離

今日の午後

椅子の横に置かれた赤い円の上で、午後の光が揺れている。
その輝きは決して長くは留まらず、時に鮮やかに、時に儚く、周囲の緑や空気に溶け込みながら流れていく。
その様子を見つめながら、光がただ風景を照らすだけでなく、時間そのものを形づくっているのだと感じる。

光と香りは、私たちの記憶とよく似ている。
確かに存在しているのに、触れようとすればすぐに消え去ってしまう。
そして残されるのは「回想の青」と呼びたくなるような、淡く揺らぐ残像だけ。
私たちの経験もまた同じで、目の前にあると思った瞬間から、すでに失われていく運命にある。

赤い円の中に伸びる茎と葉が蒸発していく姿は、消滅ではなく「還る」ということを示している。
青いガラスの向こうへ戻っていくそのイメージは、存在のすべてが大きな循環の中にあることを告げているようだ。
人もまた例外ではなく、生まれ、混ざり合い、やがて消え、別のかたちで還っていく。

消えていく香りや揺らぐ光は、一見すれば儚さの象徴に思える。
だが、その儚さこそが『今日という午後』をかけがえのないものに変えている。
もし永遠に留まる光や香りがあったなら、それを美しいと感じることはできないだろう。

日々のなかで出会う小さな風景や匂い、そして交わす言葉さえも、すべては「消えていくからこそ残る」もの。
午後の光を眺めながら呟く

人が生きるということは、無数の小さな永遠を抱えながら、

…….同時にそれらを手放していくことなのかもしれない。

「 We Live A Thousand Years / Hauschka」
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そら(空・宙・くう・sora)を編む:とりとめのない:ソラモノガタリ

ウラノスとガイアの神話、母ガイアの嫉妬から哀しくも美しい、天空と大地が生まれたという/
うちの娘の名前はソラ。隣のうちで飼っているインコの名前もsora/
空を自由に飛ぶナウシカは、何を守り、何を捨てるべきか、その答えを空で見つけようとしていたのだ/
『次元』と『空』の関係性/
空を切り取って額に飾ると、それは最高のアートになる!とヨーコが言った/
仏教における空『くう』とは、固定的な実態がない、無我。もしくは永遠という捉え方もある/
天の川の夜空、久しぶりに会えた織り姫と彦星は、なんて言葉を交わすのだろう……「いくつになった?」/
上の空、ウワノソラ/
あの空をずっとずっとずっと泳いで行ったら、何処に辿り着く……元の場所に戻るだけなんだよと、誰かが言った/
ところで、西遊記の孫悟空は人間? それとも猿? それとも……/
紀元前5世紀のギリシャ、アクロポリスから仰ぐ空。その後の今世紀、アクロポリスから仰ぐ空はいったい何度目の空?/
哀しくて、かなしくて。ふと空を仰いだら、青くて、蒼くて、碧くて……そのうちどうにかなるさ/
『地球は青かった』とユーリー・ガガーリンが言った。それはきっと……空のしわざなんだよ/

「 Too Much / ジュリー・ドワロン」
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solstice : 至点/夏至:

midsummer
太陽が沈まなくなってずいぶんと経つ
一日中顔を合わせているよ
少し前にお祭りがあって
その時は一晩中起きていた

midwinter
太陽が昇らなくなってずいぶんと経つ
暗中にいることもいい
たまに在る、オーロラ
輝く雲も見えることも

midsummer
風が吹く、わりと強い
光がとても美しいよ
眼に映るあらゆるものが輝いている

midwinter
何故か、この場所から動かない
キャンドルの灯りを眺めていると
その中に溶けていきそう

地球の裏と表の
同じ時の、違う季節

「Permettez Please / スブリーム&三宅純」
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:飛行士 ― サン=テグジュペリのもうひとつの姿

久しぶりに『星の王子さま』の本を手に取り、ページをめくる。
子どもの頃、私はこの物語に夢中だった。
未知の星に生きる不思議な人物や生物たち
確認のしようもないその世界に、
夢や憧れをたくさん詰め込んで、何度も読んでいた。

けれど、大人になった今、あらためて読み進めていくと、
あの頃とはまるで違う、静かな感情が心にじんわりと浮かぶ。

物語の語り手は、飛行士。
砂漠に不時着したが、そこで出会ったのが、王子様という名の不思議な少年。
その出会いは、忘れてしまっていた『子どもの心』を取り戻す旅だったのかもしれない。

この飛行士こそ、サン=テグジュペリのもうひとつの姿だと言われている。
空を飛びながら、彼はずっと、
自分の中の『王子さま』を探し続けていたのではないだろうか。
子どもの頃に描いた、象を飲み込んだウワバミの絵。
それを「帽子でしょう?」と笑われたあの記憶。
大人になるにつれて、見えなくなってしまった大切なもの。

「子どもだったことのあるすべての大人たちへ」

そんな一文で始まるこの物語は、
飛行士としての彼から、少年だった自分自身への手紙であり、
同時に、私たち一人ひとりへの静かなメッセージにも思える。

:バラ、キツネ、飛行士

どのキャラクターも、私たちの心のどこかにいるような気がする。
だからこそ、この物語は読むたびに違う顔を見せてくれる。

時にはバラのように、誰かを試してしまい、
時にはキツネのように、誰かと心を通わせたいと願う。
そしてまた、飛行士のように空を見上げ、
かつての自分が子どもだったころのーワタシーを思い出す。
だから、『星の王子さま』の物語は、
いつまでも色あせることなく、
いつの時も、静かに私のそばにいてくれるのだ。

:『彼は、原石のまま海に消えたダイアモンドであった』

その彼とは『星の王子さま』の作者、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ。
作家・宮崎駿は、彼を評してこう語ったという。
この一文に、彼の生涯と作品、そして人間としての姿勢までもが、見事に表されている。

1900年、サン=テグジュペリはフランス・リヨンに生まれた。
幼い頃から空に強い憧れを抱き、成長するにつれ、自然と飛行士としての道を歩み始める。
空を飛ぶことは、彼にとってー自由ーであると同時に、ー孤独ーでもあった。
その体験は、やがて彼の文学の核心へと変わっていく。
『星の王子さま』(1943年)は、彼がアメリカに亡命していた時期に書かれたもの。

第二次世界大戦のただ中、サン=テグジュペリは自由と祖国、希望と絶望のはざまで揺れていた。
そんな混沌の中で生まれたこの作品には、彼自身の人生の断片、心の叫び、そして願いが、
ひとつの寓話として織り込まれているようにも思える。

その後、1944年に彼はフランス解放のために偵察任務に志願し、地中海上空へと旅立った。
そしてそのまま、彼は戻らなかった。
無線には、こう残されている。

「任務に向かう。応答願う。」

彼の最後の言葉。
2000年、マルセイユ沖で彼の飛行機の残骸が発見されたが、遺体は見つかっていない。
彼の最期はいまも「謎」に包まれたままである。
サン=テグジュペリは、理想、冒険、そして人間愛を信じていた。
けれど、それらを磨ききることなくこの世を去ってしまったのだ。

「まるで、未完成のまま輝きを放つ
彼は、原石のまま海に消えたダイアモンドであった」― 宮崎駿

『星の王子さま』は、サン=テグジュペリ自身の物語であり、彼の人生そのもの。
物語の中で、王子さまがキツネに教えたあの言葉が、静かに響く。

「ほんとうに大切なことは、目には見えないんだよ」

リアルな人間の心の旅がたくさん詰まっている。

彼は、本当に死んだのだろうか?
それとも、自分の星へと帰っていったのだろうか。
―そんな問いは、謎のままでいい。
『星の王子さま』のページを開けば、
彼には、いつでも会える気がしたからだ。

「ソング・フォー・オクターブ / ベルトラン・シャマユ」
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時間

竜宮城から戻ってみると、地上では長い年月が経っていた(浦島太郎)
王女は錘が刺さり百年間の眠りについてしまった(眠れる森の美女)
タイムマシンに乗って未来のぼくを見る(ドラえもん)
点であり、
長さでもあり、
すべての出来事を位置付ける枠

「時間」

伸び縮みし(一般性相対性理論)
中断され(聖なる時間は俗なる時間から区別される)
しかし一瞬である(刹那滅)
円環して無限に続く(古代宗教)が、
直線的で有限でもある(キリスト教)
主観的な速さは異なり(ゾウの時間、ネズミの時間)
下天の1日は人間界の50年に当たる(仏教)
未来から過去へ流れ(アビダルマ)
枝分かれをする(多世界解釈)
この場所に、「ある」かもしれない

「時間」

ホメロスを1行読めば、ヘクトルと並んでトロイの城塞を歩いている。フィッツジェラルドの1段落に引き込まれれば、ワタシの「今」はギャッツビーの「今」と絡みあう。ブラッドベリの1953年の本を1冊開けば、エックルズとともに恐竜を狩っている。「物語は、私たちが時の川を進むための唯一の船だ」。たしかにそのとおりだ。世界中の図書館の棚にタイムマシンがあふれている。そのひとつに乗り込み、旅立とう。
―アンソニー・ドーア

「時空の旅」

「Infra / マックス・リヒター」
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旅の旅

pm 6:00 東インドの旅の途中、嵐に巻き込まれリリパットに漂着。その国は小人の国。

pm 7:00 王妃に放尿をするという行為から追放される。

pm 8:00 次に訪れた巨人の国プロプディンナグ国。10メートル以上はある身長の人たち。
pm 9:00 国王に歴史、財政、政治、酒興の質問を受けるが、毒虫扱いされ、また追放される。
pm 10:00 次は、海賊から逃れる経緯で空中未来都市飛鳥ラピュタ国に。
pm 11:00 数学と音楽だけが学問とされる知恵の国、人々は思索ばかりで人の話を聞かない。

am 0:00 ………ここで一息、『星になった少年 〜Shining Boy & Little Randy〜』 の音が流れてる。。。。。

am 1:00 出航。
am 2:00 フウイヌムの国にたどり着く。
am 3:00 ヤフーと呼ばれる野蛮な人の姿をした生物と、この地を統治する馬の国。
am 4:00 合理的で平和的なフウイヌムの国。
am 5:00 帰国後、僕は人間と会わずに何頭かの馬と生活。
am 6:00 そして、静かに朝を迎える。

日が沈む夜に一冊の本を開ける。
日が昇る朝に想像の旅は終了。

旅の旅。

ー ガリバー旅行記 ー
嵐で船が難破し、身長15cmの人々が暮らす小人の国にたどり着いたガリバー。 「人間山」と呼ばれ歓迎されるも、やがて卵の殻のむき方を発端とする隣国との戦争や、宮廷内の派閥争いに巻き込まれていく。ガリバーのさまざまな冒険と旅の物語。

  • Laputa(ラピュタ):Balnibarbi(バルニバービ)の上空を飛行する島。人々は数学と音楽にしか興味がない。
  • Balnibarbi(バルニバービ):ラピュタの下にある島で、人々は貧しくみすぼらしい生活をしていた。しかし非常に賢い人々で、地球の未来の問題を解決するアイディアを持っていた。
  • Luggnagg(ラグナグ):不老不死がいる島。
  • Glubbdubdrib(グラブダブドリッブ):マジシャンの島。人々は幽霊を召使いにしている。ガリバーは歴史的偉人の幽霊を呼んでもらい会話をした。

「 星になった少年 オープニングタイトル 」
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内なるラジオ

さっきまで広場では花火が上がっていた。今日は特別な夜だから、誰もが浮き足立っている。部屋の中にいても、外の騒ぎ声はよく聞こえた。
わたしもいつもと少し違っていたのかもしれない。普段はつけることのないラジオのスイッチをいれたから。

  “ハッピーニューイヤー、おめでとう”

カップに触れた手が止まる。ラジオからは、聞こえてくるはずのない、抑揚のあるあの低い声が流れてきた。

  “久しぶりです、お元気ですか?”

  “あなたのことをよく思い出しますよ”

声は話を続けた。
旅先での出来事や観た映画、部屋に置いてあるお気に入りの椅子。それぞれの微笑ましいエピソード。
どれもが鮮やかに浮かび上がる。
その切り取られた時間の片隅には、いつだってわたしも居た。

棚に並ぶ本やレコードは、ずっと触れていなかった。毎日素通りされ、どこへも進めず、そこでじっと立ち尽くしている。

  “そう、次はあの曲をかけますね”

部屋でよくかけていたあの曲が流れてくる。
なにかあると、そのレコードを取り出し甘いシードルを開け、それを一気に飲み干していた。わたしはその曲も甘ったるいシードルもそんなに好きではなかったけれど、そのささやかなパーティーにいつも黙って付き合った。そんな一方通行の共有だって悪くはなかった。

声はほんの少し改まったようなトーンで言った。

  “それではリスナーからのコーナーです、メッセージをどうぞ”

そしてそれきり何も言わない。

外の喧騒はいつの間にかなくなっていた。灯りも減って、いつもの夜に戻ったようだった。急に静けさに包まれた部屋で、埋める言葉をわたしは探した。けれど、棚のレコードも本もそこにあるだけで、どこにも言葉は見つからない。音ひとつ立てられず、ただ止まった時間だけが過ぎていく。

やがてラジオは短く”プツ”と、途切れる音を返した。

by Sophia Clarus

back and forth

photo: shu

なぜ旅に出たいのか、それは自分でもわからない。要するに、どこかに行って、こういうことをしたいとか、こういう事をやりたいという場合、プランニングするのではなく自然に湧いてきてしまう。
始まりはいつもそんな感じなのだ。

旅の条件として、目的の国、場所は閃いたところへ。
宿泊は最初の1泊は確保。そして、地図は忘れず必需品。
宿の条件はシャワー付きのお湯が出ればまず大丈夫。
エレベーターがあることは絶対必須。
1泊目の宿がよければそのまま連泊となる。

さて、旅のプランニングは何となくだけれど、イメージは或る。
先ずは、いざ出発。

現時代のようにパソコンで宿を調べることができない。
この町にもう少し居たいと思ったとしても、ここを出なくてはいけない。
又、この町から早く出たいと思ったとしても、この町に居ることになる。理由は明確ではないけれど、テンションは上がらない。
そんな気持ちを抱えながら嬉しい出会いのないことの想像はできる。そんな経験から、フリースタイルの旅に落ち着いてしまった。
目的地に到着したら、空港の電話ボックスへ先ず向かう。
電話帳から宿らしきページを破りポケットに。ついでにライブハウス、中古レコード屋の情報もポケットに。
予約した宿の夜は、あらかじめ用意した地図と、ポケットに忍ばせた宿泊情報をテーブルに並べる。それを赤ペンで気になるだろう箇所をチェックしていく。それも楽しい時間。
わからない街だからこそワクワクしてしまうのだ。

− 境界 –

境界

あの道まっすぐ、その先右に曲がると何があるのだろう。

きっと、何かが現れる。
歩く景色に、窓やドアが真っ先に目に映る。
道のこちら側とあちら側。
あの人とこの人の繋いでいるモノはなんだろう。
真夜から続く朝になる瞬間。
地平線と水平線の境。
或いは、赤道に位置する国のことについてまで。


…気がついたら空想の世界に入っている。
思うと、その癖は随分と前から始まっていた。


気になる場所を見つけてしまうと、ソコから離れられなくなる。
気になった人に遭遇する。2度見、3度見…ずっと目はその人を追っていた。
気になるそのコトについては、調べずにはいられない。


そんな謎な別世界に頭の中は支配され、振り回されていたのだけれどそんな時間も、今となってはソレを随分と楽しめるようになった。

あちら側の空想に、こちら側のリアル。
気がつくと………いつも行ったり来たり。